HISTORY
地域資源の発掘・コミュニティビジネス・6次産業
6次産業化プランナー等人材育成研修会修了 農商工連携コーディネーター アートプロデューサー
佐藤 知博
Sato Chihiro
1975年3月18日生まれ
ライフワークは「ものつくりを通した地域との絆づくり」
各種ジャンルのコーディネーターとして、竹田市に移住した地域活性化現場人間。 いわゆる「よそ者・わか者・大バカ者』。当って砕けて涙しながら考え続ける修業の身。 現在、現代美術作家 MYU1(実の妹)が運営する湯布院のギャラリーを応援中。
入 社 24年4月
任期満了 25年3月
竹田の中華そば『こっとん』初代店長
入田地区を活性化しようと取組んで来た地元グループが経営する野菜直売所に ラーメン店を増築。博多一風堂が運営面資金面技術面を全面バックアップ。 こだわりの素材、手作りの麺とスープで経済効果向上や交流人口増を目指した。 経営が安定し、地元人材へ技術を伝えて任期満了。
入 社 22年8月
任期満了 24年3月
竹田市国産原材料供給・利用協議会 指導員
農水省サプライチェーン事業。一次・二次加工による国産自給率向上が目的。 竹田の特徴のある産品(すごあまこーん、原木きくらげ、チョロギ、超大型プラム鳥越) の生産拡大及び販路開拓のサポート。各種加工グループ等へのアドバイス。 しかし、現実の6次産業化は甘くない事を実感。現場を持ちたいと思っていたら・・。
入 社 19年10月
任期満了 22年3月
竹田市经济活性化促進協議会 食育事業推進員
厚生労働省の新パッケージ事業『たけた食育ツーリズム雇用創出大作戦!』の 食づくり(食育)事業,12研究会を担当。内発型雇用創出にむけた研修の企画 運営や地域資源の発掘と商品化にむけたファシリテーション(御用聞き)。 その他、郷土料理を一同に集めた食育交流会や各種イベントの企画運営など。 しかし、実際は、自分のこだわりを重要視した仕事の進め方で大迷惑をかける。
入 社 9年4月
退 社 11年7月
NPOアートスタジアムオフィス設立
大阪へ創業準備の為、修業目的で移住。(路上でのアートグッズ販売がスタート) 各種アートイベントの立案・運営(トキハ百貨店わさだタウン・教育委員会等) 様々なものつくりが親子で体験できるお祭り『ありがとう祭』の企画運営。 しかし、経済的、社会的にも限界を感じて、修業し直そうと決意し活動縮小。
入 社 9年4月
退 社 11年7月
人材派遣会社規社員数約40000名)の管理社員として就職
営業→現場管理→役員秘書→営業請負会社責任者。日本の雇用形態が大きく 変わっていった時期。父の年位の派遣社員を解雇通知するなど胃が痛くなる 経験を通して、自分の価値観や生き方を確立させないといけないと決意し退職。 (しかし、本当はエリート起業戦士を目指して頑張りすぎてぶっ倒れた。)